各会員の伝統産業紹介
その3
| 東京打刃物 | |||
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政治文化の中心であった江戸には、あらゆる物品の製造技術が発達していました。殊に武家用の刀剣類には精巧な物が多く作られていましたが、大平の世となったため、まず刀剣の需要が激減し、さらには一時盛んだった鉄砲の製造も禁じられたので、それらの鍛治職人は、その技術を日常生活に必要な刃物の制作に専念することになった。 江戸時代の刃鍛冶が鋏を造った始まりは、木鋏つまり植木用の鋏であり、裁ち鋏の原型ともいえます。 明治時代になって服飾生活の急激な欧風化に伴いラシャ布が輸入されたのと同時に、ラシャ布裁断用の鋏が持ち込まれ、その鋏を見た江戸の刀鍛冶職人が刀鍛冶の技法を活かし、一本の鉄材から裁ち鋏を造った。それが東京制裁ち鋏の由来です。 |
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| 銅製おろし金 | |||
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銅は4千年以上の歴史をもつ金属で、いろいろな使い方がなされてきました。 銅鐸、硬貨、おろし金、玉子焼など家庭用品としては、江戸時代より使用されてきました。 おろし金はどこの家庭にもある台所用品ですが、最近はアルミ製の機械製ものに押され手作りのものはあまり見かけなくなってしまいました。 勅使河原さんのおろし金は、純しを入れないで目立てをしいるのが特徴です。 また、手作りの銅製おろし金は、目が鋭く切れ味が良いため、水分を多く吹くんだおいしい大根おろしができると評判です。 この切れ味の良さは、一目一目鏨で打っているため微妙に目がズレているからといわれています。 銅製のおろし金は、切れ味が鈍ると目をふせ、新たに目立てができ、長年にわたり使用が可能です。 |
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| 東京銀器 | |||
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わが国で銀器が使用された歴史は古く、延喜式(916
年)に見い出だされます。また法隆寺献納御物の中にも各種の銀器品が見られます。江戸時代においては、初期の寛永年間(1624年〜1733年)に銀道具類が整調され、後水尾天皇および将軍家光に献上された記録があります。この銀道具類を製作した職人を銀師(しろがねし)と称していました。 江戸中期の江戸は、世界最大の人口を有する都市となり、元禄時代に彫刻士横谷宗珂(1670年〜1733年)かせ大名家の製品を彫刻する家彫から脱皮し、町人の持物製作する町彫を確立するとともに、彫金の技術技法を確立しました。 なお、彫刻する製品の生地(下地)作りをしたのが、白銀士、銀師(後に打物師)と称し、彫刻師の下請け的存在であったのが、明治以後は、鍛金師と呼ばれるようになり、現在まで鍛金及び彫金の技術技法が継承されています。 鍛金(打ち物)、彫金(彫刻)、切嵌、鑞付けの四つの技法があり、各種置物をはじめ食器や装身具など様々なものが造られています。 |
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| 伊勢形紙 | |||
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伊勢形紙の歴史は古くその発祥については種々の説があります。室町時代狩野吉信が、職人尽絵に使う染め職人を描いている事から、室町時代末期には、形紙が存在していたことがわかります。 江戸時代に入り、裃小紋柄が庶民のものとなり、図柄技法において発展し、さらに紀州藩の保護を得て、飛躍的な発展を遂げました。 伊勢形紙は、着物の柄や文様を染めるのに用いる形紙のことで、和紙を柿渋で加工した形紙に、彫刻刀で着物の文様や、図柄を丹念に彫りぬいたものです。 |
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| 江戸型・引き彫り | |||
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型彫りとは、着物の染色に使う形紙のことです。 和紙を柿渋で加工した形地紙に彫刻刃で着物の紋様や図柄を彫りぬいたものです。 この技術は、室町時代に完成し、江戸時代には微細な紋様などを染めるため紙の間に細い絹糸を縦横に貼って補強した形紙が開発されました。 この技法は。糸入れ型と呼ばれ、昭和になって工業製品の紗を形紙の上に張るようになって、糸入りはすたれてしまいました。 よい染めは、よい彫りがあることが前提です。引き彫りの魅力は線の力強さで、ことに一気に引く直線には思いきりのよさがそのまま表れます。 |
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