各会員の伝統産業紹介
その4
| 手ひねり造形 | |||
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道具にたよらず、指で造形していく、最も基本的な陶芸が手ひねり造形です。 手ひねりの技術は、縄文時代、弥生時代からあったものですが、室町時代の茶器製造などを経て、江戸時代中期以降に町人文化の発達とともに広まりました。 杉立さんのてひねり造形は。ゆびと竹ベラ1本を使って材料の粘土をひねり、胴体から顔、鼻、目、舌、最後に手足をつけ、江戸時代の町人や、河童、狸、蛙など様々な人物、動物をつくります。 これらの、町人等の姿、形は杉立さんの指先が自然ら動いて出来あがります。 |
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| 素焼き植木鉢 | |||
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中川のほとり青戸周辺は、良質の粘土が産出されていたことから、明治から昭和にかけて植木鉢、しちりん、瓦、焙烙(ほうろく)などの一大生産地でした。 青戸近辺の土が少なくなり、最近は茨城県筑波地方のものを混ぜて使うようになりました。 製造は、以前はろくろを使って手で一つ一つ作っていましたが、今では、自動整形機を使うようになりました。 植木鉢も多種多様なものがありますが、以前は素焼きのものがほとんどでした。素焼きの植木鉢の素朴さは他の植木鉢では味わえないものです。 |
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| やきもの | |||
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"やきもの"の歴史の古く紀元前一万年頃までさかのぼることができます。以来私共の生活は土を離れては存在しませんでした。 弥生、縄文期の原始的な野焼きの時代が第1段階としますと、わが国では五世紀以後トンネルを掘って長時間焼成する穴窯の時代が第2段階で、この頃薪の灰が釉となっることを発見、またロクロで整形できるようになりました。 その後、合理化が進み半地上式または地上式の登窯の発達が第3段階で、発色剤として呉須、鉄などの発見もやきものの性質を大きく変えました。さらに今日では電気・ガス等の利用により千三百度の高温も簡単に操作できるようになりました。この過程で用具としての陶器の発生も、用いるためにだけではなく、見て美しいもの、所謂”用の美”が求められるようになり、今日の陶芸があります。 宮川さんは、土の焼成による変化の美しさの発見を賭けて、赤松の薪だけで焼成する伝統的穴窯に取り組まれています。 |
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| 江戸からかみ | |||
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昔の襖紙は小判で、襖片面を貼り上げるのに12枚の小判からからかみが継ぎ貼りされていました。それが次第に大判化し、10枚貼り、5枚貼りとなり、江戸時代末期には1枚貼り襖紙(幅3尺・丈6尺)が、江戸で誕生しました。 何時の時代からか襖紙に絵模様が施されたか定かではありませんが、少なくとも平安時代には、様々な絵模様が襖や屏風を彩っていました。このことは、「源氏物語絵巻」など当時の多くの絵巻物の画中画かせ推察されます。 襖紙に色や模様を施すには様々な技法がありますが、大別すると抄紙技法によるものと、和紙の上に加色するものとに分けられます。 木部さんのむからかみでは特に素晴らしいのが、色とりどりの花鳥、人物などの更沙模様を襖面一杯に貼り込んだからかみです。 |
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